はやみねかおるさんの本で17歳子どもと18歳大人の違いに気付く

高3の春、「来るとこまで来たな」と思い詰めたような達観したような感情になった。

こんにちは。鈴宮ゆめにゃ(@suzumiyayumenya)です。

大学1年の今、「これからだ」と考えブログを始めました。

今まであんまり子どもとか大人とか考えていなかったけど、18歳の大学1年生になってから

「もう子どもではないんだな」

と感じたエピソードをつづっていきます。

自分が楽しんで読んでいた本が”児童書”だと気付いたお話です。

はやみねかおるさんの「赤い夢」は誰のためにある?

はやみねかおるさんという方の本が好きで、小学生のときから読んでいます。

ずっと大好きなはやみねかおるさんの作品なのに、少し読んではやめを繰り返している本が1冊……。

『怪盗クイーンからの予告状 怪盗クイーン エピソード0』

帯のキャッチコピーは「大人の視点で次世代の読者へ語り継いでいくべきシリーズ。」

(わたしは小学生のときからはやみねかおるさんのファンだけど、怪盗クイーンシリーズを読み始めたのは高校からだったり……)

楽しんで読んでいたところ、はやみねかおるさん作品の鉄板ゼリフが出てきました。

「赤い夢を見続ける子どもが1人でもいる限り~」

(赤い夢というのははやみねかおるさん特有の抽象的な概念で、ゆめは「本から派生した現実以外の楽しめる場所」と解釈しています)

……わたしは、赤い夢を見る子どもではないのかもしれない。

初めて気づいたときには、本の世界から現実に戻っていました

もう18歳だから、はやみねかおるさんはもうわたしの手を引いてくれないだろう。

子どもでもない、大人でもないわたし……頭の中に「自分で考えてごらん」と、はやみねかおるさんに言われる想像が広がりました。

怖くて、本を閉じました。

17歳はどれだけ体が大きくても、大人と同じ行動をとっても、子ども。

自分でお金を稼いで生活しているとしても、社会的に安心して”子ども”を享受できて、なにかあったら保護してもらえる年齢です。

18歳はなにかあっても自己責任だし、不審な行動をした後に待ち受けているのは保護ではなく補導です(17歳も補導はされるけど責任は親)

わたしは自分で税金払ったこともないし親の扶養にいるから社会的な自立はまだだけれど、それでも17歳の頃のように歩いていてなにも怖くない頃には戻れないと思いました。

社会的立場って生きていく内に少しずつ心に刻み込まれていくものなんだなあ。

もしかしたらわたしが法律上の大人に囚われているだけで、「17も18も19も、20歳さえも子どもだ。変わらんよ」という方もいらっしゃるかもしれない。

ぶっちゃけわたしもこの間親と

「18のわたしが言うのもなんだけど20ってまだまだ子どもだねぇ」

「そうだねぇ」

という会話をしたので(生意気でごめんなさい)17だろうと18だろうとまだまだ人間として未熟なのは承知なのですが……。

はやみねかおるさんご本人はご自分について

子どもの時も今も、精神年齢が変わらないので……。

と仰っています。

(はやみね先生Q&A公開! その1-早稲田大学マスコミ研究会 (waseda-massken.com))

責任さえとって生きていければ、大人とか子どもとかあんま気にしなくて良いのかも?

少なくとも本を楽しむ権利は生きとし生ける者すべてにあります。

お家にある本、今すぐ読まなきゃ?

わたしは『怪盗クイーンからの予告状 怪盗クイーン エピソード0』を少し読んではまた日を開けて、なんだかんだで完読していません。

そういえばこの本は、家に遊びに来たお友達の猫さん(人間)が1時間読んだ後「借りるぞ」ってぶっきらぼうに持ってっちゃったものだった。

そのとき、わたしたちは17歳。

今のわたしは18歳。

ちゃんと返ってきて、今はわたしの手元にあります。

彼にとっては17で出会う本で、わたしにとっては18で知ることで意味があったのでしょうか。

きっとわたしが17で読んでいたら”大人”の意味を考えることなんてなかったのだから。

難しくて読めない・できないことがあっても無理しなくて良いのかもしれない。

出会うタイミングってきっとあると思います。

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