こんにちは。鈴宮ゆめにゃ(@suzumiyayumenya)超能力者です。
わたしは霊能力や透視や予知などもしますが、気を操り相手の手や体に触れて人を癒すこともします。
抱き着いたり、噛んで邪気を吸い取ったこともありますが……(一見スキンシップのような霊能力者の除霊法【同い年の友達除霊した】 )
基本的に手をあてて治癒するので、手は大切な道具です。
自分を汚さないためというのもありますが、下品だったり過激なものには触れない・見ない・検索しないと決めています。
さて、そんなわたしにはファンタジー作品を見てて
「笑えないな……これ……」
と自分事のように受け取ってしまう表現がたまにあるのですが、「右手がうずく」もその一例。
寝ようとしているけれど意識が覚醒しているときやぼーっとしているときなど、たまに右のてのひらが小さな風を放出して渦巻いているような感覚があります。
「右手がうずく」ときはエネルギーがありあまっている感情を覚えます。
大抵そういう日は人とあまり関わっていない、体を動かしてもいない日。
わざわざ人と触れ合わなくてもパソコンで文章を書いていくと収まるので、内なるエネルギーがあふれ出ている状態だと思います。
人の役に立っていない、自分の能力(超能力以外の意味も含め)を使っていないので余ったエネルギーが体の巡りの邪魔をしないように自力で放出されているのでしょう。
そういう意味でもブログはゆめにとって解放の場だったりします。心的にもエネルギー的にも。
ゆめの感覚として、相手と”気”のやり取りするときは右手で放出して左手で吸い取る気がするのですが、左右の手の使い分けは大切だったりします。
同じ疲れている人でも、「邪気がたまって疲れている人」「活気はあるんだけどうまく巡っていなくて疲れている人」などパターンが違うからです。
前者はわたしが邪気を吸い取ってあげることが必要ですし、後者は気を送って循環させてあげることで体がうまく動き出します。
邪気がたまっているのに気を注入しても重くなってしまいますし、充分な気があるのに減らしてしまうと活力を失わせてしまいます。
ただ、自然とどちらかの片手を使っているので、矛盾しているようですが”相手から見て右手”か”自分から見て右手”かは(現時点では)ゆめがハッキリと覚えていません。
ゆめは相手を見てから無意識に使い分けをします……超能力者も「理論派」と「感覚派」で分かれているのかもしれません。
少なくともパソコンでブログを書いているときは、ゆめから見て右のてのひらが常に働いています。
~~
火のない所に煙は立たぬ。
超能力者やファンタジーと呼ばれるジャンルも、過去に実在していた人や伝説の逸話を元に創られていったのがはじまりかも?
ゆめにゃは生まれつきでしたけど、後天的に手に入れる霊感もあるっぽいですからね→【本物VS偽物!?】本物の霊能力者が語る”霊能力者あるある”
そう考えると、自分が見たことがない・知らないからと簡単に他人の話を鼻で笑ったりできませんね。
コメント